こんにちは、梅子です。
前回の記事(→リンクはこちら)では、小学校高学年の頃のお話をしました。
今回はその続き、「Episode6:中学受験〜入学の頃の思い出」をお届けします。
■気づけば小6、周りはもう受験モード
小学校6年生になり、卒業後の進路について考えはじめた頃、ふと周りの友達がすでに受験に向けて動いていることに気がつきました。
4年生くらいから塾に通っていた子も多く、放課後になると、大きな塾のバッグを持って出かける姿をよく見かけました。
私はというと、持病のこともあり、学校に通うだけで精一杯。塾には通っていませんでした。
■母と祖母がすすめてくれた学校
そんなとき、母が昔通っていた私立の中高一貫校のことを知り、「この学校、いいな。私も行ってみたいな」と思うように。
大好きな祖母もその学校が気に入っていて、「もし受験できるなら、ここがいいね」と応援してくれました。
■はじめての受験勉強は、自宅でマイペースに
塾には通えなかったので、参考書をいくつか用意してもらい、自宅で少しずつ勉強を始めました。
夜は疲れが出ないよう、できるだけ21時には就寝。無理のないペースを心がけました。
■いよいよ受験本番
試験当日は、今年から4教科に変更されたこともあって、内容も難しく感じました。
正直、「きっとダメだったなぁ」と思いながら、翌日は普通に学校へ。
すると、先生から呼ばれ、「合格していたよ!」との知らせが。
信じられない気持ちと、嬉しさでいっぱいになったのを覚えています。
■家族みんなが喜んでくれた日
迎えに来てくれた車のドアが開くと、後部座席の母が「おめでとうーー!!」と笑顔で出迎えてくれました。
運転席には父、そして祖母もとても喜んでくれて…。その日、近くのファミリーレストランでお祝いしてもらったのが、今でも忘れられない思い出です。
ちなみに、受験した年は試験科目が増えたこともあり、競争率が少し下がっていたそうで…運が味方してくれたのだと思います(笑)。
■雪が舞った、入学式の日
待ちに待った入学式の日。
関東ではめずらしく雪が降り、とても印象的な一日になりました⛄️
小学校のころは送り迎えをしてもらっていた私にとって、毎日電車で通学するのは、なかなかハードルが高いことでした。
当時は、日常生活をしているだけでも膝や肘などの関節が炎症を起こしやすく、「無理をしないこと」を大切に、両親も常に気づかってくれていました。
そんな中、通うことになった学校は、偶然にも父や母の職場の近くにありました。
そのおかげで、朝は父の軽トラックで学校まで送り届けてもらい、帰りは母の車で一緒に帰る、という通学スタイルが自然とできあがりました。
本当に、両親にはたくさんの支えをもらっていたなぁと、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
学校の体育は小学校同様、すべて見学。
宿題や教科書も多く、重いカバンを運ぶのは難しかったため、教科書を2冊ずつ用意してもらい、自宅と学校に置いて使っていました。
今考えると、なんてありがたい配慮だったんだろうと思います。
■続きはまた次回…
今回はここまでにして、次回は中学校での生活の思い出について綴ろうと思います。
よろしければ、また読みにきてくださいね。
🎵今日の一曲
中山美穂さんで「CATCH ME」(1987年)
→YouTubeで聴く
突然のお別れが早すぎて、今でも信じられません…。
当時からずっと美しくて、曲も素敵なものが多かった中山美穂さんですが、なかでもこの曲は特に「かっこいいな」と思っていました。作詞・作曲は角松敏生さんです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!