幼稚園〜 Episode 2|皮膚筋炎と幼少期の入院生活

皮膚筋炎・多発性筋炎と、暮らす

↑写真はイメージです。

こんにちは、梅子です。

前回の記事:
👉 皮膚筋炎・多発性筋炎の診断を受けた Episode 1 の続きを書きます。

3歳での退院、そして七五三

お薬やリハビリ、先生や家族のサポートのおかげで、3歳の間に退院することができました。
秋にはお出かけもできたようで、七五三のお祝いの写真が残っています。

でも…写真の私は、着物を着て疲れてしまったのか、ぷーっとした表情でした(笑)。

幼稚園入園!そして「うめ組」

翌年、幼稚園に入園
なんと、偶然にも 「うめ組」 に!運命を感じますね(笑)。

でも、転びやすさや力の弱さは続いていたようで、当時の写真を見ると、おでこや膝小僧にガーゼを貼っているものが多かったです💦

幼稚園の思い出

  • お遊戯会 でとんがり帽子をかぶってダンス♪
  • 遠足 でおにぎりを食べたこと🍙
  • でも、幼稚園定番の 芋掘り は、できなかったと思います。

年長さんは「らいおん組」…でも入院へ

実は、私の幼稚園生活は年少さんまででした。
年長さんでは「らいおん組」になったのですが、1年まるごと再入院することに。

また、プレドニン(ステロイド治療)やリハビリの生活が始まりました。
銀色のお風呂のような、お湯が入ったタブがいくつか並んだ部屋(?)で、手足を動かす練習だったり、先生からは階段を上り下りする様子を見られている、そんな記憶がうっすらあります。

入院中の私と家族の支え

大人になってから、ママさんからこんな話を聞きました。
「あの頃は、定期券を買って、病院に通っていたのよ」

私の治療のために、家族にたくさんの負担をかけてしまいました。
でも、当時の私はというと…

3歳の入院経験で慣れてしまったのか、ケロッとしていたようです(笑)。
家族や親戚が面会に来てくれると、スタスタと病院内を歩き回り、
あ、おばちゃん!」などと、普通に話しかけていたそうです😂

妹のこと、そして周囲の支え

ママさんは、私の面倒を見るだけでなく、当時 1〜2歳の妹 のお世話もしなければなりませんでした。
妹は叔母に預かってもらったり、周囲の方々に支えてもらったり…。

「妹に寂しい思いをさせてしまったのでは?」と気になり、
大人になってから聞いてみましたが、
さすがに 1〜2歳の頃の記憶はなかった ようです😌
でもきっと当時は寂しかったこともあったと思います。ごめんね。

病気になると、本人が辛いだけではなく、家族や親戚、友人…
本当にいろんな人に心配をかけたり、支えていただくことになるのだと、今でも申し訳なく思います。ありがとうを言い続けたい方がたくさんいます。

年長さんに通えなかったことの劣等感

私は幼稚園の年長さんに通っていません
そのせいか、大人になってから「大事な教育や一般常識の一部が足りないのでは?」と、
少し劣等感を感じたこともありました。

その後の小学生、中学生時代も入院が多かった影響か、集団で遊んだり、みんなの前でお話ししたりすることは苦手になりました。(先生や看護師さんとはペラペラお喋りしていたようですが笑)

でも、過去を悔やんでも仕方ない!

家族は、病院でも学んだり遊べるように、塗り絵や折り紙、砂絵、パズル、着せ替え人形、漫画などを沢山与えてくれました。「もう本屋に行くたびに、買ったことのない塗り絵などを見つけるのが大変だったわ笑」と、大きくなってから、おばあちゃんが話してくれました。ありがとう!

おかげで、自分で想像力を働かせて楽しんだり考えたり、手先が器用になったり、得意なこともできたかもしれません。ひらがなは、4歳くらいで読めるようになったそうです。

その後も、大人になった今も、知らないことがあれば学ぶ姿勢を大切にしながら、
自分なりに頑張っています💪✨

次回:小学校入学の頃

次回は、小学校入学のお話を書きたいと思います。

読んでくださり、ありがとうございました!
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