こんにちは、梅子です。
前回の記事(中学校受験〜入学までの思い出)では、中学校に入るまでの出来事を書きました。
今回はその続き、「Episode 7:中学生の頃の思い出<前編>」をお届けします。
🎒入学してすぐの学園生活
中学校に入ると、すぐに始まったのが部活動の勧誘。
先輩たちが廊下や教室にやって来ては、1年生に声をかけていました。
当時の私は、プレドニンの副作用の「低身長」のまま、ダントツおちびさん。そのため、「わ〜、かわいい子どもがいる〜」と、思わぬ注目を集めてしまい、恥ずかしかったのを覚えています。
体育の授業はまだ見学が続いていたので、運動部は断念し、文化系の「点字部」に入ることに。
目の不自由な方の役に立てたら…という思いから、点字で自分の名前から打つ練習をしたり、盲導犬の養成所に見学に行ったりしました。盲導犬が自分の使命をきちんと理解している姿に、ただただ感心していました。
📚学校生活と病気との向き合い
学校はとにかく宿題が多く、毎日提出期限に追われながらも、何とかついていこうと頑張りました。また、珍しい「礼法」の授業があり、お箸の持ち方や、お辞儀の仕方などを教わりました。「黙想」という、毎回授業を始める前に、目をつぶって心を落ち着かせてから勉強に入る、独特の文化がある学校でした。お掃除学校でもあり、生徒達自身がトイレ掃除もするおかげで、大人になってもトイレ掃除が苦ではない、と、同級生の中では懐かしい思い出になっています。
そんな中で迎えた中学2年生。
皮膚筋炎の治療による副作用である「石灰化」によって関節が炎症を起こし、入退院を繰り返すようになりました。
比較的軽い時は点滴や手当て、血液検査で炎症の数値を確認して、落ち着けば退院という流れでした。
ところが、あるときは片側のお尻に大きな石灰化が進んでしまい、切開して取り除く手術を受けることに。
🏥手術と入院で感じた、大人の優しさと家族の愛
手術のため、小児科病棟から皮膚科の大人の病棟に移動。
雰囲気がガラリと変わって戸惑いましたが、周りの大人の患者さんたちが「頑張っててえらいねぇ」と優しく声をかけてくださったのが、今でも心に残っています。
手術当日は、まず筋肉注射をしてからストレッチャーに乗せられ、手術室へと運ばれました。
麻酔のマスクがかけられ、「10数えてね」と言われた数秒後、もう手術は終わっていました。全身麻酔って何だかすごい。
あとで聞いた話では、執刀医の先生が「両手いっぱいに山盛りになるほどの石灰があった」と先生が話していたと聞き、びっくりしました。
術後の痛みはつらかったけれど、父がかけてくれた「傷は1日1日、少しずつ良くなるからね」の言葉に、どれほど救われたことか。
お父さん、ありがとう。
大人になった今でも、お尻から太ももにかけて左右で形に差があり、姿勢や足の長さにも影響が出ています。
毎日のストレッチやウォーキングで、身体のバランスを整えるよう心がけています。
🧑⚕️心に残る先生と友達
この頃お世話になった小児科の先生は、子ども相手でも甘いことは言わず、治療や病状について真剣に話してくれる、クールだけど信頼できる方でした。
今も年賀状のやり取りが続いていて、そのたびに当時の感謝の気持ちがよみがえります。
入院中には、同い年の明るくて面白いお友達もできました。
お笑い好きで、たくさん笑わせてくれて、何度も元気をもらいました。
🎁病室で生まれた、折り紙のくす玉
入院中は点滴の管が手の甲に何日も入ったままの状態でしたが、工夫しながら勉強したり、折り紙を折ったりしていました。
限られた指しか使えなかったけれど、工夫して小さな12面体のくす玉を作れるようになり、看護師さんにプレゼントしたことも。
それを気に入ってくれた看護師さんたちが、胸のネームバッジにぶら下げてくれて…とても嬉しかった思い出です。
🎵今日の一曲
渡辺美里さんの「My Revolution」(1986年)
中学生の頃より少し前の曲ですが、「セーラー服通り」というドラマと共に、学生生活への憧れがふくらみました。前向きなメッセージが、今でも背中を押してくれる大好きな一曲です。
🎧YouTubeで聴く👂
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、中学校の後半の思い出を書きたいと思います🌸