皮膚筋炎と歩む小学生の日々|Episode5 小学校高学年の思い出

皮膚筋炎・多発性筋炎と、暮らす

こんにちは、梅子です。

今日は、「皮膚筋炎と暮らす Episode5」として、小学校高学年の頃の思い出をお話しします。

🎒送り迎えの日々と、みんなとの距離

当時も変わらず、車で送り迎えをしてもらいながら登校していました。
普通なら「いってらっしゃい」「おかえり」で済むところを、毎日車を出してもらい、本当に家族にはたくさん助けてもらっていました。

私の通っていた小学校は、縄跳びがとても盛んで、20級から1級までの検定もありました。でも、球技やプール、マラソン大会、組体操など、多くの行事は見学。元気なみんなの輪の外で、小学生の生活を送っていました。

🎓「子ども博士」になった夏休み

夏休み明けには毎年「子ども博士」という自由研究の発表会がありました。
5年生のときは「洋服博士」になろうと決めて、いろんな布の端切れを使って、画用紙を洋服型に切り抜き、ファッションを表現する作品を作っていました。

でも、その年はまた入院してしまい、残念ながら発表はできませんでした。

翌年6年生では「あり博士」として、アリの生態を調べたり、巣のまわりにいろいろな食べ物を置いて、どれを一番好むのかを観察したりしました。そうしてまとめた研究を発表することができ、とても嬉しかったです。

👂叔母が教えてくれたこと

最近、叔母に当時のことを尋ねてみると、こんな話をしてくれました。
「面会に行くと、いつも”大変なのにありがとう”って言われたよ。でも、本当に大変だったのはあなたなのにね」と。

私はというと、病院生活にも少し慣れてしまって、母に「もう帰っていいよ」と言ってしまったこともあったようです。
(その頃から、「ママ・パパ」から「お母さん・お父さん」に呼び方を変えてみたり。ちょっと恥ずかしかったなぁ。)

病棟では、面会が終わる頃になると泣き叫ぶ赤ちゃんや小さい子の声があちこちから聞こえてきました。私は高学年だったので、お姉さんぶって、本を読んだりしながら涼しい顔をして過ごしていたように思います。

🏕修学旅行、行けました!

体調や先生方のご配慮のおかげで、念願の修学旅行に参加できました。行き先は日光。

歩くのが難しいところではバスで休ませてもらいながら、同級生と一緒にご飯を食べたり、枕投げをしたり、楽しい時間を過ごしました。

夜のレクリエーションでは、「歌のトップテン」をクラスで披露。私は「第2位 少年隊の“君だけに”」のチームに!移動中のバスで練習していたカセットテープをうっかり忘れるというハプニングもありましたが…本番はアカペラで乗り切りました!みんなのアイデアが詰まった振り付けも、とっても楽しかったです。

先生方が裏でいろいろと調整してくださっていたこと、本当にありがたく感じています。

🎹ピアノで叶った「みんなの前で活躍する」夢

もうひとつの思い出は、ピアノのこと。

小学校1年生から高校3年生まで続けたピアノ。小学校では、全校行事で伴奏を担当させてもらう機会をいただきました。

実は、お父さんが先生に「体育は難しくても、得意なことで活躍できる場を」とお願いしてくれていたそうです。発表会では三脚を立てて、ビデオ撮影をしてくれたり。子煩悩で熱い父の愛情は、今になって度々思い出します。ありがとう。

🎓卒業式、そして涙の思い出

無事に、同級生と一緒に卒業できました。私のクラスは、みんな仲良しで、あだ名も全員ついているような和気あいあいの雰囲気でした。

若くて元気な体育の男の先生は、元気すぎる私たちに毎日のように説教タイム(笑)。
でもその先生とも、みんなとも、濃い時間を過ごしたことが思い出され、クラス全員が涙していて、あの日の教室は、静かな感動に包まれていました。

次回は「中学受験〜入学編」をお届けします☘️

🎵今日の一曲

南野陽子さん『話しかけたかった』(1987年)

🎧 YouTubeで聴く(外部リンク)

風が踊る5月の街で🎵 今の季節にぴったり。
当時からとても可愛くて、ファンでした♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

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