こんにちは、梅子です。
前回の記事「<Episode 10>高校2年生の思い出」に続き、
今回は高校3年生の頃の思い出を綴ります。
☝️進路を考えた日々
6年間の中学〜高校生活、気がつけば最後の一年となりました。
いよいよ進路を決めていく時期です。
これからどんな仕事に就きたいか考えたとき、
まず私は電車で通学をしたことがないため、
「毎日通勤して仕事をこなす体力が自分にあるのだろうか」と不安に思いました。
もしかしたら、週に一度でも電車通学をしていたら、少しずつ体力がついたのかもしれません。
けれど、両親は心配して毎日車で送迎してくれていたので、
「やってみたい」と言い出せないまま、日々が過ぎていきました。
だからこそ、「普通の学生として過ごせる時間が欲しい」と思うようになりました。
短大の2年間はあっという間に感じたので、4年制大学に通いながら体力をつけて、その間に将来の仕事のことも考えられるようになりたい──。
そんな思いを両親に相談しました。
担任の先生にも進路相談をしたところ、
私の成績で無理なく目指せそうで、通いやすく環境の良い大学をいくつか調べてくださり、
その中から一つの大学を勧めてくださいました。
両親は小さな商店を営んでいたので、将来、手伝うこともあるかもしれません。
そうでなくても役に立ちそうな分野として、「経済学部 経営学科」を選びました。
見学に行った大学は、校門前に川が流れ、
クリスチャン校らしくチャペルがあり、広い芝生と大きな講堂が印象的でした。
その穏やかな雰囲気に心惹かれ、「ぜひここに通いたい」と思いました。

✏️受験の日々
中学校受験以来の久しぶりの受験。
まずは「指定校推薦」に挑戦しましたが、
希望していた同級生の方が評定平均が高く、残念ながら叶いませんでした。
言い訳になりますが、成績は上位1/4くらいまでは頑張っていました。
でも、体育がすべて見学だったため、5段階中「2」……。
ここで少し差がついてしまいました。
次に「一般推薦」へ。英語のみのペーパーテストです。
通学に加えて塾にも通うほどの体力はなく、帰宅後に過去問を解いて勉強しました。
数日後、休み時間に担任の先生から
「合格しましたよ」と声をかけていただきました。
その瞬間、ほっと胸が熱くなりました。
両親もとても喜んでくれて、近所のレストランでお祝いをしてくれたことを覚えています。
🪭高校最後の体育祭と御神楽
受験が終わり、秋の体育祭。
高校三年生は、伝統の「御神楽(みかぐら)」──神道の祭礼で奉納される舞──を踊ります。
体育祭は中学1年生から高校3年生までの合同開催でした。
中学生の頃、高校三年生が舞う御神楽を見て、
「大人っぽくてかっこいいなぁ」と憧れたものです。
(この日だけは、うっすらお化粧も許可されていました)
私は例によって見学でしたが、最後の体育祭では演目紹介のアナウンスを担当しました。
一緒に踊れなくても、一員になれたような気がして嬉しかったです。
グラウンドで舞うえんじ色の扇、ねじり鉢巻、迫力ある太鼓の音、
跳ねるたびに鳴る鈴の音──少し誇らしげなみんなの姿を見つめながら、
ちょっぴり羨ましさを感じたあの光景はいまでも心に残っています。
🌷卒業までの日々
年が明けて最後の学期。
すでに進路が決まっている生徒もいれば、受験真っ只中の生徒もいて、
それぞれの時間を過ごしていました。
課外授業の一環で訪れた大きな公園では、歩いている途中で思いきり転んでしまいました。
皮膚筋炎の影響で筋力が弱いせいか、
運動をしてこなかったため反射神経が育たなかったのか──
いつも同じように、膝下から崩れるように転んでしまいます。
気づくと地面に「ハ」の字のように座り込み、
必ず膝下を擦りむいてしまうのです。
そのときも、咄嗟に手をついたり受け身を取ることはできませんでした。
一緒にいた同級生からは「急に消えた!」と驚かれ、
痛みよりも恥ずかしさが勝って、思わず笑ってしまいました。
🎓そして卒業式
思いもよらないことが起きました。
「育英会懸賞」という、努力を評価していただける表彰を受けました。
特に成績優秀というわけではなかったので驚きましたが、
これまで何も表彰されたことがなかった私は、とても嬉しく感じました。
講堂の後ろで見ていた両親に喜んでもらえたことが何より、
心から「よかった」と思いました。
卒業式の後の謝恩会では、
卒業アルバムに先生からメッセージをお願いすると、
「学校一の頑張り屋さんでした。」と書いてくださり、
ありがたい気持ちで胸がいっぱいになりました。
こうして、無事にみんなと同じように卒業できて、本当によかったです。
次は、大学入学のころの思い出を書きたいと思います。
🎧今日の一曲
安全地帯「恋の予感」(1984年リリース)
6年間ほぼ毎朝、父の車で学校へ向かう時間は、私にとって小さな音楽の時間でもありました。
中でも父が好きだった「安全地帯」さんの数ある名曲から一曲──。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


