こんにちは、梅子です。
今日は、「皮膚筋炎と暮らす」Episode8・中学の思い出<後編>をお届けします。
私が通っていた中学校では、2年生になると「ファームステイ」という行事がありました。
農家さんのお宅に数日間泊まらせていただき、農作業や自然体験を通じて学ぶという、とても貴重なプログラムです。
小学校時代は、遠足や運動会など多くの行事を見送ってきた私。
このファームステイも、まわりに迷惑をかけるだろうし、両親も心配するし、体調的にも難しいかもしれない‥と、どこかであきらめていました。
そんな中、「ぜひ一緒に行きましょう。私たちがサポートしますよ!」と先生方が温かく声をかけてくださ理、申し訳なくも、勇気を出して参加させていただくことにしました。
◆ 山形県・尾花沢市へ
行き先は、山形県尾花沢市。
生徒3人でひとつのお宅にお世話になるスタイルです。
到着してまず驚いたのが、お家の大きさ!
畳が何十枚もあるような広いお部屋を用意してくださり、その空間に圧倒されました。
…と、感動していたのも束の間。
居間から畳の部屋への段差に気づかず、畳のお部屋に入るときに思いっきり転んでしまい、早速みなさんに心配をかけてしまいました(汗)
実は私は、若年性皮膚筋炎の影響で転びやすいことがあります。
運動経験も少なかったため、転ぶ時にとっさに察知し手が出ず、膝から崩れるように倒れてしまうことがよくあります。
しかも、アザではなく、流血することがほとんど‥跡もなかなか消えません。
友達からは「急にいなくなる(視界から消える)」と言われたことも(笑)
◆ 忘れられない、たくさんの体験
そんなハプニングもありましたが、あとは、すべてが楽しく、心に残る体験ばかりでした。
-
農家のおばあちゃんの方言がすごすぎて、まったく聞き取れなかったこと。
-
耕運機の荷台に乗せてもらったこと。
-
畑で割ってそのままかぶりついたスイカや、もぎたてをすぐに茹でたトウモロコシが、びっくりするほど甘かったこと。
-
見上げた夜空に星がこぼれ落ちそうなくらい輝いてたこと。
-
蚕の繭を使って「繭玉フラワー」を作ったこと。
-
澄んだ川で鮎をつかまえようと奮闘したけれど全然捕まらず‥でもその後いただいた鮎の塩焼きが本当に美味しかったこと。
今でも鮮やかに思い出せる、大切な記憶です。
一緒のお宅に泊まった友達とは、今でも変わらず仲良しです。
◆ 花笠踊りと、修学旅行
ファームステイの後、体育祭では2年生全員で山形で習った「花笠踊り」を披露しました。
私は見学でしたが、
「ヤッショ、マカショ!」の掛け声とともに、
みんなが赤い花笠をくるくると回し、
踊るたびに響くシャンシャン…という鈴の音が、
今も胸に残っています✨
3年生の修学旅行(京都・奈良)は、残念ながら再び石灰化の炎症が起きてしまい、入院のため参加できませんでした。
だからこそ、ファームステイでの体験が、より一層かけがえのない思い出になったのかもしれません。
◆ 卒業までの日々
振り返ると、中学校時代は、これまでで一番入院が多かったように思います。
🏥 入院・療養中のこと
体育の授業はすべて見学だったので、レポート提出で単位をいただく形に。
入院中は、叔母が勉強を手伝ってくれたこともありました。
家で療養している時には、友達がノートやプリントを届けてくれたり、担任の先生が入院先まで面会時間ギリギリに来てくださったことも。
その際、急いでいたせいか病室の前で滑って転んでしまったそうで…汗。
教室では話したことのなかった同級生からのお手紙を預かってきてくれたのも、おどろきとともに嬉しかった思い出です。
🏫 登校再開後のこと
退院後は、とにかく早く遅れを取り戻したくて、布団の中で体を休めながら宿題をこなし、体調を見ながら登校も再開。
職員室へ直行して先生に宿題を提出していました。
出席日数が足りるかどうか、無事に進級できるか不安な日々もありましたが…
何とかそのまま高校に上がれることとなり、卒業式ではようやく家族も一安心してくれたように思います。
たくさん心配をかけてしまった家族へ、そして先生や友達、関わってくれたみんなに、心からありがとうの気持ちを伝えたいです。
🎵 今日の一曲
DREAMS COME TRUEさんの「忘れないで」(1991年)
アイドル全盛期だったあの頃、吉田美和さんの、歌声と存在感に衝撃を受けました。
誰とも似ていない“唯一無二”の表現者。初めて聴いた瞬間から心をつかまれました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回は、高校生活の思い出を綴ります。